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2008年10月28日 (火)

看護や介護は、排泄ケアが一番大事

看護や介護は、やはり排泄のケアがもっとも大変だ。
口先だけでは、言えないような大変な現場がある。

私は介護はないが、父が病に倒れたときには、病院に寝泊まりして、看護した。
排泄のケアもしたが、大変だった。
父親が、私を見る目が「申し訳ない」という顔をしていていたのを、今も覚えています。
これが、介護だったら、どんなに大変でしょうか。

父は、それから2年半で亡くなりました。私が29歳の時でした。
やさしい父でした。

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2008年10月23日 (木)

余力あるうちに、他社へ引き継いでもらう

最近、増えて来ているのは、中小企業の高齢オーナーの会社の譲渡である。
長年の技術やノウハウをどのように次世代へつなげていくかは、会社設立からの課題といってよい。

しかし、少子高齢化で、子どもは別の道へ行き、当てとなる親族もいない。また、従業員には若い世代がいないという、後継者不足の中小企業も増えてきた。

そこで、取引先や世間に対して迷惑にならないように、余力があるうちに、また、元気なうちに、よい会社へ事業を引き継いでもらおうとするオーナーが増えている。

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食品スーパー各社の定年延長

ベテランパート社員をそのまま雇用することでの効果。また、新規パート社員の採用が困難な今、食品スーパー各社の定年が延長されている。

「ライフコーポレーション」は、パート社員の定年を64才から70才に、また、「いなげや」も68才にした。
「イオングループ」は、正社員の定年を65才に、パート社員を65才までと延長している。

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2008年10月21日 (火)

「限界集落」だけではない、「限界店舗」、「限界会社」も

限界集落という言葉は、大野晃 長野大学教授が、提唱した概念で、65歳以上の高齢者が自治体総人口の過半数を占める状態を「限界自治体」と名付け、「限界集落」は、この定義を集落単位に細分化したものである。

しかし、地方の中小企業を見ると、農業のような一次産業のように年齢構成が、60代後半から70代の方が主力の経営者や従業員である企業が結構多いことに気づく。

若い従業員が定着しない、業績の悪化で社員を増やせない等、さまざまな理由はあろうが、10年経つと、10才年を重ねることは間違いない。

「自分が元気な間だけでは、大丈夫だが、もし倒れたら、廃業だな。」
そのように元気に語る経営者の方もいる。

しかし、製造業のように、長年の熟練を要するような仕事などもある。
その技術が消滅するというのは、社会にとっても、大きな損失になることもあることを考えると、一社だけではない、社会全体の仕組みを考える必要があるのではないか。

65才以上の社員で構成されるような会社や店舗も実際に地方にはある。
生涯現役として、会社の第一線で、いつまでも戦うのは尊いが、いつかは、引退がくる。
会社も生き物である。日常業務と人材育成は、常に車軸の両輪である。

今だったら、間に合うと思う。
不謹慎かもしれないが、「限界店舗」、「限界会社」と名付けてはいいのではないかと思う。

少子高齢化は、受け継ぐ若い人がどんどん少なくなっていく社会だ。
1人1人が貴重な社会の人材だ。
だからこそ、若い方をどのように育てるか。また、励ますか。
が大変重要になってくると思う。
優れた組織は。その手をすでに打っている。

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2008年10月17日 (金)

秋の夕暮れに思うこと

さわやかな秋空の防府市内。
朝は寒くなってきましたが、みなさまの地域はいかがでしょうか。
私は土日も行事等でつまっていて、忙しい毎日です。
さて、我が家ではキンモクセイの花の香りが広がり、4本ある柿の木の実も大きくなりました。今年は台風が来なかったから、実の数も多いような気がします。
2008年10月7日撮影の柿の木です。
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我が家の周りの田の稲刈りもほぼ終わりました。稲刈りと言えば、私にとって印象深いのは、夕日です。農作業でようやく稲刈りが終わる頃には、いつも夕日でした。そこで、父と母が働いていました。 以前は、カマだけで刈っていました。腰には、ワラをいくつか差していて、ほどよい太さで結んでいました。

そして、バインダーが導入されました。自動で刈って束ねていくのを見て、子どもから見ても興味津々でした。それからコンバイン(以前は脱穀は脱穀機でした)へ。昭和40年代の約7年ぐらいの間に次々に進化しました。機械化されても、作業の最後は、どうしても夕日の中での作業となります。親戚もテゴ(「手伝い」の山口弁)で集まり、今思えば、大変な作業でした。

次の日から、稲を乾燥する作業です。父親が常に乾燥機のそばについていました。これも、以前は天日で干していましたね。私も幼稚園ぐらいの時ですが、庭中に稲が干してある光景は今でも忘れません。子どもは正直、大人のじゃまだったと思います。

また、夕日と言えば、お風呂です。五右衛門風呂で、夕方の母の仕事は、風呂をわかすことでした。手伝ったこともありますが、多くは母が焚いていました。高校時代、自転車で家に帰っていくと、夕日の中、我が家の小さな煙突から白い煙がのぼり、母が風呂を焚いているのが、わかりました。今振り返ると、本当に暖かな時間でした。当時は、どこの家もお風呂を焚いていました。

今の子どもたちには、わからないだろうなと思いますが、この気持ちだけは伝えていきたいと思います。

2008年10月13日の夕日の写真です。
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