再生紙とガリ版紙とコミュニケーション
環境問題のこともあり、各オフィスで再生紙を使うようになっている。少し茶色っぽい再生紙は、カラー印刷の色の発色も少し違和感があるが、それはそれで、味わいがあっていいものだ。
再生紙の色をみていると、小学生の頃のガリ版を思い出す。先生は、プリントやテストを鉄のペンで一生懸命書いていた。書くと独特の音がする。それをローラーで印刷して、教室へ持ってこられた。
私たち児童は、そのB4の紙を二つに折って、ふくろにして、閉じた。袋とじと言った。これが当時一般的だった。クラスの文集なども、すべてこの方法だった。
小学生高学年になって、鉄のペンではなく、緑色のビニールのような紙に普通のボールペンで書く方法が登場した。ボールペンで書くと、そのビニール紙の文字の部分が薄くなり、インクが出てくるのだ。間違えても、茶色の独自の修正液で直すことがある程度できた。
そのころになると、1枚ずつローラーでしていた印刷も、電動式に変わったようだった。ガタッガタッと一定のテンポの不思議なうなり声で、印刷ができた。紙は変わらずうす茶色の紙だった。その紙は、今オフィスにある白色の上品な物ではなく、茶色の厚い紙だったが、どこまでも暖かい感じがした。しかも、印刷された直後は、独特のインクの臭いがして、それがまた、なんともいえず、よかった。今のレーザープリンタの印刷物のような冷たい感じではない。
昭和60年、会社に入ると、青焼きが一般的だった。うちの会社では、現在のコピー機をメーカー名で「ゼロックス」と言ったり、「白焼き」と言う上司もいたので、新米の私がコピーを頼まれると、「青焼きですか?白焼きですか?」と上司に伺ったものだ。
だから、仕様書ももちろん図面も青焼きがとりやすいような薄いトレーシングペーパーだった。書き上げた図面で、「design」の欄に、英語でサインを初めてした時はうれしさとともに、緊張した。図面もCADではなく、手書きだった。青焼きの臭いも私は好きだった。A4の官庁向けの仕様書に、大きな図面を折って中へ入れ込んだのも懐かしい。でももう、今の私はできない。
そして、県庁の出先期間に勤めたときは、契約書の作り方を学んだ。とくに「袋とじ」が難しかったことを覚えている。当時は、ワープロが全盛期だった。
1887年頃からロータス123を使い始めた。一太郎とロータス123を1992年ごろには、仕事で使えると、当時はうらやましがられた。とくに、ロータスのグラフを一太郎に貼り付けるのは、テクニックがあって、わからない方が多かった。そして、1993年頃にエクセルに乗り換えた。山口県ということもあるかもしれないが、ノートパソコンの液晶がカラーになったこともあり、操作をしていると、後で感心して見ているお客さんがいた。「これは何ですか?」と聞かれ、「エクセル」です。とよく答えた。Windows3.1の時代だ。
それが今では、みなさんご承知のとおり。誰でも使うパソコンになった。
しかし、今でも残っている、小学校の先生の手書きのプリントは、ガリ版の紙の上の達筆の先生の文字とともに、いつまでもいつまでも暖かい。
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